昭和56年1月1日 朝の御理解 ②③
御理解第34節 ここへ参っても神の言う通りにする者は少ない。みな帰ってから自分のよいようにするのでおかげはなし。神の言うことは道に落としてしまい、わが勝手にして神を恨むような者がある。神の一言は千両の金にもかえられぬ。有り難く受けて帰れば、土産は船にも車にもつめぬほどの神徳がある。心の内を改めることが第一なり。神に一心とは迷いのないことぞ。
今朝から、神様に、えー、お礼を申させて頂いておりましたら、②「御心眼に、おお、とてつもない大きな、昔、品焼きといったですかね、大きな火鉢、品焼きの火鉢を頂いて、灰が一杯入ってるんです。九分目ぐらいなところまで入ってるんです。そこに火が、木炭の火が、一杯こうおこっておるところを頂きました。あー、これが今年の、ま、いうならば信心だなというふうに思わせて頂きました。
そして今朝から、御理解を頂きましたら、ま、この御理解34節でした。で、もう一つ、うー、『神の一言は千両の金にもかえられん。有り難く頂いて帰れば、船にも車にも積めぬほどの神徳がある』。ね、一言でもう、それが神徳になる、今年一年の自分の腹の決め所というものをしっかり頂いていかなきゃならんと思うんです、ね。
それこそ有り難く頂いて帰れば、船も車にも積めぬほどの御神徳、の受けられるお話を毎日頂いておる、ということは、はあそうだな、そうだなと思うて、はいはいと言うて聞いておるということじゃないでしょうかね。大きな火鉢です、だから灰が一杯溜まってる。溜まってるというか、もう灰で一杯なんです。だから上の方へ木炭を入れると、それはもう上で炙ってるものは熱いごとあるけれども、下の方は冷たいということ。
あれは、焼き物の火鉢はそうですね、下に灰を少し入れて、そして火をこう入れますと、火鉢全体がこう温かになって、皆が寄ってきても、膝からこうぬくうなるような感じがいたしますでしょ。なんというても合楽にかけれられる神様の願いというのは、いよいよ、おー、合楽理念の、おー、ま、世界顕現にあると思うんです、ね。②」
世の中の難儀な氏子に助かってもらいたい、ね、それには、あー、こういう生き方が、その気になれば誰でもでけれる、誰でもお徳が受けられる人種、どかん、んー、超えたものと申しましょうかね、日本人だけではない、合楽の信者だけではない、皆が共通する所のおかげの頂けれる内容をそれぞれが頂いておるのである、持っておるのであるから、それに気付かしてもろうて、それを、いうなら、あー、いよいよほんとの御神徳の受けられる受け物にしていくということになるのです。
そこで、③「合楽でまあ、申します合楽理念を、ま、一通りはマスターするといたしましても、もうこれだけはという、一つの貫くものがならななければ、それは徳にも力にもならないということです。ね、ですから、今年はもういよいよ実験実証させて頂くということ。まあ、これは、銘々同じであるという、同じであらなければならんということはありません。合楽理念の中から、もう一言でもこれが自分の身におうておる、これなら自分でもでけるという、一つの目当てを作って、そしてそれに本気で取り組ましてもらう。ね、もう徹底して取り組まして頂く。ね。③」
沢山はいらない、だから日々の御理解は自分が、いうならこれと定めさせて頂く、うー、頂いておる、教えの、ま、いうなら伴奏のようなもんである。ね、この合楽に久保山っていう方が、婦人が参ってみえますが、んー、もう毎日が、今日も成り行きを大切に尊ばして下さいというのが、もう毎日、これを真剣に願われます。ね、そして先日からも、おー、合楽会の時に発表しておられましたように、ほんとに、何にもできません、何にも分かりません、ただ成り行きをいよいよもって、大事に大切にさせて頂いとりましたら、いつの間にか我情が取れております、いつの間に我欲が取れております。その我欲が取れただけ、その我情が取れただけ、いうならば、おかげも受けてきておりますという、発表をなさいましてね、あたしはびっくりいたしました。
我情を取れ、我欲を取れ、我が身は神徳の中に生かされてあることが分かるためには、我情があっては、我欲があっては、おかげは受けられんと説かれます。けれども、なかなかもって我情我欲を取るということはむつかしい。けれども、久保山さんの場合は、もう日々の御理解がです、いうならば、もう成り行きを尊び、成り行きを大切にさして頂くということだけのための、いうなら伴奏のようなものである。ね、だから、毎日御理解を頂く。そして、芯でである所の、成り行きを大切に尊ばせて頂いておりましたら、いつの間にか、ね、成り行きを尊ぶ、大切にすると、その教えを一つ、行じ守らせて頂くことです、それに徹することでです、もう一番信心のいうなら、肝心要のところがです、だんだん育っていっとる、でけておるということが分かります。
あたくしどもは、あまりに御理解を詳しくなりすぎて、分かりすぎて、知っておるけれども、自分のものにはなっていない、血肉になっていないという、(きらい?)があるというのが、あたくしどもの、まあ、いうならば、今日まで信心させて頂いた反省であると同時に、なら、今年はこれに取り組む、ということだと思います。ね、理屈はいりません。もうほんとに実験する以外にはありません。ね、そして、なら、この火鉢がある、ね、下の方まで温かになって、誰でも寄り付けれる、はあ、上には火が入っとるから熱いと思う、あの、寒いから寄ろうと思うとるけれども、熱すぎるように、一番、う、上んところに火が、こうやって、ぐるぐる起こっておるから、かえって寄り付きにくい、そして、寄ってみると、下の方は冷たいと、こう、ね。
信心の、いうならば、ある人、いうなら、信心の教えが日々、生き生きとして、行じられておる人の側によったら、それこそなんとはなしに、暖かーいものを感じれれるような、あたくしになりたい。ね、寄り付いてきた人が離れられないくらいに、暖かい自分になりたい、ね。ためにはね、いうんらば、それこそ、教えを一言でもよいから、本気で行じぬかせて頂く、そのうちに、他の教えのすべても、だんだん分かってくる。肝心要の我情が取れてくる、我欲が取れてくる。金銭の問題も人間関係の上にも、ね、健康の上にも、おかげを、いうなら、賀情我欲が取れただけ、おかげが受けられておる。特に、私と夢の間の関係なんかが、最近素晴らしく、おかげを頂いていっておることが有り難いという発表をなさいましたが、あたくしどもが、ただ、ね、金銭のお繰り合わせを頂きたい、健康になりたい、人間関係のスムーズなおかげを頂きたいということを、ただ願っただけでは、ね、本当のおかげになりません、ね。
いつの間にかそれがおかげになってくる、といったようなおかげを頂きたい。今日は、こういうことを今年の指針にするということではなくて、もう一つでもよいから、ね、これからです、頂くこと、ね、それはもう、みなさんそれこそ灰が火鉢の中に一杯入ってます。頂くのは一杯頂いておるのですから、その中からの一つ、今の久保山さんの例をとるならば、もういよいよ持って、成り行きを大切にする、尊ばして頂くと、その一言だけでもよいから、それを徹底、行じさせて頂くことからです、ね、いわゆる神様からの願いであるところの、ね、和賀心時代を、いうならば自分の周辺に広げていく、ね、合楽理念に基づく助かりというものを、まずは自分自身がその助かりを頂いて、お願いをして、おかげを頂いて助かったといのではなくてです、ね、そういう教えを本気で行じて、いつの間にか、あれもおかげを頂いておった、これもおかげを頂いておったといったような、おかげをです、ね、身につけていけれるような、信心の芯のところをね、一つ、皆さん、これは、あなたはこういう信心がよいですよとは申しません。ですから、自分で沢山頂いておることの中から、このこと一つ、ことだけは、といったような、ね、信心の、いうならば、情熱を日々燃やしていけれるおかげ。
火鉢の( ? )のところに炭火が入っておって、ね、寄ってきた者も、寄ってきただけで暖かい。熱いと( ? )、良い加減に暖かい。炭火の、いうなら、ように、あたくしが御神眼に頂いた、ね、灰が一杯で、上に、す、も、こう、うー、炭火が入っておる。なるほど、いかにも暖かそうだけども、寄ったら、もう一番上ですから、熱いごとし、さる、この、淵に手もかけられないごと、感じなんです。ね、そして寄ってみると、下にいけば、冷たいという。これでは、自分も助からない、人も、いうなら、助かることはできないというふうに思います。どうぞ。
皆さん、本日はおめでとうございます。
佐田みきこ